桜島フェリーで海を渡り、車をビュンと飛ばして一時間。
目指すは大隅半島・鹿屋のまち。
今日は、地元人が愛してやまないという、「だっきしょ豆腐」を食べるのだ。
宝食まち鹿屋
だっきしょ豆腐。その聞き慣れない食べ物とは何かというと、落花生(=鹿児島弁でだっきしょ)を使った豆腐のこと。全国的にはピーナツ豆腐と呼ばれるものだ。
大隅半島・鹿屋は落花生の名産地。そこで古くから家庭で作られてきたというだっきしょ豆腐は、地元の人々にとっては大切なふるさとの味、母の味だろう。
そもそも、鹿屋といえば本土最南端、大隅半島の中心都市として栄えてきたまち。しかし、その地理的なハンディのせいか、意外と知られていないのは、県内随一といっていい「食の都市」だということだろう。黒豚、黒牛、うなぎ、カンパチ、お茶、さつまいも、そして先の落花生など、鹿児島が誇る海・山の幸、大地の恵みのほとんどが揃う。おいしいものには目のない自分にとっては、夢のような土地。飽食ならぬ、宝食のまちなのだ。
そんな鹿屋の中でも、地元の人が愛してやまないだっきしょ豆腐を食べられる、人気の食堂があるという。その日、その場所でしか買い求めることができないらしい。
何でも「お取り寄せ」ができる時代だからこそ、わざわざ行かなくては体験できない味への憧れは強くなる。
一度は、食べてみたい。そんな思いを募らせて鹿屋のまちへ小さな旅に出た。
プチ船旅
だっきしょ豆腐の旅は、桜島桟橋から出るフェリーから始まった。わずか15分の船旅。とはいえ、フェリーに車で乗り込んで海を渡るという行為が、何か特別な旅へ誘われているようなワクワクした気分にさせてくれる。
桜島フェリーは、錦江湾をゆったりと進んでいく。内湾特有の、のたりのたりとうねる海面を眺めているうちに、こちらの心持ちも、のたりのたりの穏やかなリズムになってくる。
しかし桜島に到着したとたん、雰囲気が一転する。活火山の荒々しい山肌や山容。惑星を彷彿させる溶岩の大平原。一気に大迫力のジオワールドとなるのだ。
桜島のフェリー発着所から約1時間。数々の天然水でも知られる垂水市を通り過ぎて大隅半島を南下していくと、いよいよ鹿屋市へ入っていく。
港で出会った深海エビが
やたらとうまい。
宝物の山分け
港町には、普段見たことのない美味がある、と思う。鮮度はもちろん、おいしいのに足の早い魚介類が、市場に出回らず地元で消費されることも多いからだ。なので、鹿屋市に入ってすぐに位置する古江漁港に寄ってみた。
漁港に降り立つと、海の匂いがふわっと迫ってくる。そこで視界に飛び込んできたのは、水揚げされたばかりのエビの選別の風景だ。キラキラと宝石のように輝くエビを作業テーブルの上に山盛りにして、おばちゃんたちが、てきぱきと手を動かしている。聞けば、それは錦江湾独特のトントコ漁の水揚げ場の様子。トントコ漁とは錦江湾独特の深海のエビを狙う漁業なのだそう。
まるで宝物の山分けのような光景に見入っていると「ほら、食べてみてん」とおばちゃんが、ひょいと薄ピンク色の小エビをつまんでくれた。口に含んでみると、海のエキスがほとばしる。後味には、ほんのりとした甘み。次にいただいた大ぶりの真っ赤なエビは身がプリップリで、濃厚な旨味に身悶えした。「う、うまぁい」と思わず叫ぶと、「よか塩加減でしょう」とおばちゃんも誇らしげだ。
何人かのおばちゃんと言葉を交わす。そのたびに、エビの試食にあずかることに。おいしさはもちろん、このホスピタリティーは、どこでも味わえるものではないだろうな。
だっきしょ豆腐は
たくさんの愛であふれていた。
小松食堂の活気
古江漁港から車で走ること15分。そのお店は、どの地方都市でも見られるような、ちょっと寂れた感じの商店街に何気なく存在していた。小松食堂。店内に入ると、はじめてなのに自分のまちの食堂のような安心感。昼の十二時ちょっと前、老若男女さまざまなお客さんでいっぱいだ。仕事途中らしい男性が丼飯をわしわしと食べている。その姿は、昭和の活気を思い起こさせて素敵に感じる。
さっそく、このお店の名物であるというチャンポンと、憧れのだっきしょ豆腐を注文した。
相席した二人組のおばちゃんは、「息子たちが帰ってくる時は決まって私も家でつくるのよ」「ここのが昔から私たちが食べ馴染んでいるものに一番近いのよね」と、だっきしょ豆腐・愛を語る。また期待感がふくらんだ。
他人ではない味
運ばれてきただっきしょ豆腐は、なんとまあ、きめ細かな白い肌だろう。用心深く箸でつかむ。白いからだをふるふる震わせながら口の中に滑り込んだかと思うと、落花生の風味がふんわり。そして、とろける。ほとんど官能的な食べ心地だ。箸でつかめるかつかめないかというギリギリ限界までのゆるさが絶妙なのである。お豆腐のように角が立っておらず、力なくしなだれる姿は誰もを受け入れる「ゆるさ」があって、そこがまた親しみがわく理由だろう。
これはスイーツ?いやスイーツを食べたときのおいしさとは明らかに違う、記憶のどこかに残っていたような懐かしい味。はじめて食べるのに、他人とは思えない味。この感じが、一度食べたら忘れられない理由のような気がする。
おいしさの秘密
だっきしょ豆腐の担当をするのは、松下幸治さん。ご両親とお兄さん夫婦といっしょに、お店を切り盛りする次男坊だ。「小学生の頃からだっきしょ豆腐を作らされていました」という幸治さんに、おいしさの秘密を聞いてみた。
「材料は、水と落花生とさつまいもでんぷんの3つだけなんです」と幸治さん。その落花生は、鹿屋産にこだわっているのだという。外国産に比べて原材料が割高になるのは明らかだ。しかし、幸治さんはニコニコさらりとこう答える。「ちょっと高くついても材料は鹿屋産以外は使いませんね。おいしいし、安心だから」。その正直さが、味にも出るのだろう。
乾燥した落花生をミキサーにかけ、水とでんぷんを加え火にかけながらていねいに練っていく。もっちりとろりという、あの黄金の食感は、練る時間と火力で、粘り気や香りに違いがでてくるらしい。「水と落花生とさつまいもでんぷんの割合は、4:1:1。昔から、どの家庭でもその割合にしていたそうなんですよ」。
おいしい落花生がたくさんとれる鹿屋で、昔はどの家庭でも作られていたという、だっきしょ豆腐。その時代を知る人にとっては非常に懐かしい味なのである。生活の知恵からよくもまあ、こんなにおいしい物を生み出したものだ。落花生から豆腐を作ろうという発想力もすごい。
「おいしいといわれるよりも、昔ばあちゃんが作っていた味と同じだ、といわれる方がうれしいんです」と幸治さん。やさしい言葉のはしばしに、家族愛、地元愛があふれている。
それにしても、ここでしか食べられないのにクセになる味というのは、なんとも罪深い食べ物だことよ。
落花生って、こんなふうにできるんだ。
だっきしょ畑にて
夏から秋にかかる今頃は、落花生の収穫時期らしい。そう聞けば、どうしても、その幸せな風景を見たくなる。地元の人に頼み込んで、落花生の畑を見せてもらった。
「よその人は、落花生って木になっているんでしょ、というの。土の中でできるってことを知らないのよ」と笑顔で迎えてくれたのが前原キミさん。「収穫にはまだちょっと早いかもねえ」といいながら、ご主人の春二さんが引っこ抜いてくれた。これが、落花生かあ。土から出てきたばかりの落花生の実たちは、コロコロと元気な声が聞こえてきそうだ。
地元で落花生は煮物にも使い、みそ汁の具や炊き込みご飯にも使うらしい。いまや国内産は高級品とすら思える落花生を、惜しげもなく家庭料理に使う贅沢さよ。まさに、だっきしょ天国の食べ方だ。そのなかでも、気になったのが「塩茹で」。「採れたての生の落花生を、殻付きのまま塩茹でして食べるのが一番おいしい」と春二さん。鹿屋ではあたりまえ過ぎる食べ方で、飲み屋さんのお通しでも出てくるらしい。
その塩茹で、いま食べられませんか? とまたムチャぶりをした。わざわざお客さんに出すものではないけど、という顔でキミさんは台所から持ってきてくれる。ありがたく、ぱくりといただくと、しっとりとした歯ごたえ。独特の旨味と塩加減が後を引いて、もう、とまらなくなりそう。「毎日食べても、おいしいよ」と春二さんの言葉はほんとうだ。おおらかな鹿屋の人と空気や水や土すべてが、この味を作っているんだな、としみじみ思った。
汚れのない心に、
どんどん戻っていくみたい。
はじめての吾平山上陵
若い頃はとんと興味が無かったのだけれど、人生経験を重ねていくうちに、歴史や幽玄な世界にも憧れを抱くようになった。せっかく鹿屋まで来たのならばと向かったのは、前々から一度訪れてみたいと思っていた場所、吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)。全国でも珍しい岩屋の陵(お墓)で、神武天皇の父君と母君のものだとか。
深い山ふところに抱かれて荘厳な雰囲気が漂うというその場所は、大隅半島のパワースポットの一つとしても知られている。
その吾平山上陵の参道に足を踏み入れると、川のせせらぎが耳にやさしく届いてくる。まわりには目に収まりきれないほどの緑。その緑が溶け出したような空気は澄みきって、マイナスイオンが目に見えるようだ。予想以上に景色が美しく、胸がどきどきと高鳴った。まさに幽玄という言葉がぴったりだ。
清らかな川の流れのほとりに続く参道には高い杉並木が連なり、いくつかの橋が架かっている。それを、ひとつ渡るたびに、何かにあやかりたいとかいう現世利益的な欲望がだんだんと薄れていって、岩屋の陵にたどりついて手を合わせたときには「世界がいつまでも平和でありますように」などと、いつもの自分とは違うスケールの願いを心でつぶやいていた。
たぶんそこで、自分が解放されすぎたのだろう。参道の入口付近にある階段を降り、素足になって川の浅瀬に入ってみるという行動に出てしまった。「ああ、気持ちいい」と吸い込んだ空気には川の水の匂いが混じっていて、懐かしい気持ちになった。バシャバシャと浅瀬を踏むと、水の中では驚いた小魚たちが逃げ回る。童心に戻るとはこのことか。とっぷりと日が暮れるまで川で水遊びをしていた子どもの頃に、心はタイムスリップしていた。
こんなところにもおとな旅の醍醐味が。
懐かしい時代へタイムスリップした後小腹が空いて、小さな牧場が営むというお店に立ち寄った。本格的なドイツハム・ソーセージが食べられるらしい。大きな窓から光が差し込む開放的な店舗は、いかにも若い人が好みそうなシンプルでスタイリッシュな設えだ。
「自分たちが育てた豚は、すべて自分たちで売りたい、というのが父の長年の夢だったんです」と教えてくれたのは、ふくどめ小牧場の長女・福留智子さん。江戸っ子のような小気味いい対応が印象的だ。お父さんの志を受けて、長男・俊明さんは養豚を、次男の洋一さんはその肉を使ってハムやソーセージなどの加工品を作っているという。俊明さんは日本でここだけの「サドルバック種」という豚を飼育、洋一さんはドイツ留学で現地のマイスターを取得しているというのだから、その情熱がうかがえる。「ここのだけは子どもが食べてくれる、というお母さんたちの声がうれしいです。子どもの舌は正直だから」と智子さん。人懐っこい笑顔の奥に、正直さと芯の強さが見える。鹿屋の旅を駆け足で味わってきたけれど、ここで止めをさされたような気がした。
人の中にも、鹿屋の旅の醍醐味があった。
取材を終えて
派手さはないのに、食べてみると、グッと心をつかまれる、だっきしょ豆腐。それは、観光地としては知られていないのに訪れてみると、たくさんの見どころを秘めている鹿屋のまちの姿と重なり合う。地元の人が「なんにもない」というところには、えてして「どこにもない」ものがあるものだ。
全国区ではないけれど、地元に愛され続けるものを、その場所に食べに行くこと。それは、その土地の気候風土、まちのなりたちまるごと五感で受け止め、味わうことだ。そして、自分の口に合う合わないを超えて、土地の人々がどのように暮らし、何を大切にしてきたかに触れることもできる。それは、とても大人っぽい旅だと思う。
知れば知るほど好きになる。鹿屋というまちで出会ったすべてに、そんな印象を抱いた。今回は豚も牛もカンパチも食べずに帰ったというのも、激しく後ろ髪を引かれる思いがする。いつかこのまちで、食べ過ぎの罪悪感から自分を解放して、気のすむまで食い倒れてみたいと、大人げなく思うのだった。ほんとうに。
古江漁港(鹿屋市漁業協同組合)
鹿屋市古江町7440-3
TEL.0994-31-8008
小松食堂
鹿屋市北田町9-5
TEL.0994-42-2075
吾平山上陵
鹿屋市吾平町上名
TEL.0994-58-7257
ライター
吉国 明彦 (よしくに あきひこ)
鹿児島市生まれ、東京にて20年ほど図書編集に携わった後、Uターン。鹿児島市内で小さな直売所を開いて生産者やご近所との付き合いをたのしみながら取材編集活動を続けている。
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