〝神景〟に情熱を注ぐ人々。
故郷の宝を日本の遺産に
ニニギノミコト、
コノハナサクヤヒメ、
海幸彦、
山幸彦……
聞いたことはあるけれど、
そもそもどういう話? と
思われる向きもあるだろう。
それは古事記や日本書紀に伝えられる、
神話の世界に登場する神々。
「日本の始まり」の物語だ。
その物語を軸として、
今年度の「日本遺産100選」(文化庁)の登録に、
薩摩川内市と、鹿屋市、霧島市、南さつま市の4市が
連合でチャレンジしている。
題して「カゴシマ神景[KOUKEI]
〜神代三山陵と笠沙の宮から紡がれる風土[FOOD]の物語」。
鹿児島に残る「神々のゆかりの地」や
「田の神さぁ」など鹿児島独特の文化や景観、
食を、大きなストーリーにまとめ上げたプランだ。
なぜ、それほど神々の物語を愛してやまないのか。
日本遺産登録準備会の事務局長・竹内利彦さんは、
地元と神話の関係性を明快に説明してくれた。
「子供のころから年中行事や初詣などで、
ニニギノミコトを祀っている新田神社に親しんできました。
鹿児島には、この国を生んだ神々ゆかりの物語が各地に残っていて、
その神々が祀られる神社や陵墓(皇室のお墓)と伝わる場所があります。
ここは実はすごい土地なのかもしれない、
そう気づいて、誇りに思ったんです。
これからたくさんの外国の方も訪れるでしょうから、
私たちの地域や国の成り立ちを知って欲しい」。
竹内さんは少しだけ言葉に力を込めてこう語った。
「この活動を通して、4市の方々と知り合い、
繋がったことが一番の宝に思えます。
鹿児島には、人々を呼べるような宝がたくさんあります。
その宝を磨くのは、まだまだこれからです。」
「神代三山陵」
皇室の初代・神武天皇に連なる三代のお墓
「可愛山陵」「高屋山上陵」「吾平山上陵」が
鹿児島県にあり、宮内庁によって管理されている。
いずれも明治7年、明治政府に認定。
神代三山陵(じんだいさんさんりょう)と呼ばれている。
可愛山陵〝えのみささぎ〟(薩摩川内市)
ニニギノミコトの御陵(お墓)。
神亀山の山頂にある。
高屋山上陵〝たかやのやまのえのみささぎ〟(霧島市)
ニニギノミコトの子、
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)の御陵(お墓)。
吾平山上陵〝あひらのやまのえのみささぎ〟(鹿屋市)
山幸彦の子であり初代天皇・神武天皇の父、
ウガヤフキアエズノミコトのお墓。
その美しさから「小伊勢」と称される。
笠沙半島〝かささはんとう〟(南さつま市)
この地より上陸、ニニギノミコトが
「ここは朝日の直刺す国 夕日の日照る国 いとよきところ」と称賛し、
笠沙の宮(かささのみや)を築いたとされる。
日本遺産100選
国内外からの観光客を各地域に呼び込む施策として、
文化庁は平成27年より「日本遺産100選」を募集。
鹿児島県では令和元年に
「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」が認定された。
日本遺産登録準備委員会の会長・中俣知大さん(右)と、
事務局長・竹内利彦さん(真中)。
お二人とも薩摩川内市の出身。
新田神社の神職・砥綿茂全(とわたしげまさ)さん(左)
取材を終わって
懐かしい田んぼの風景と、
そこで出会った数々の田の神さぁ。
次に足を運ぶのは、
緑一面の田んぼの頃か、
黄金色の稲穂が実る頃か、
新米の時期がいいな、と思うのは、
やっぱり食いしん坊の性なのだろうか。
おいしいものがいっぱいの鹿児島は、
田の神さぁや、
様々な神々に見守られてきたのだということを、
改めて感じることができた。
鹿児島に伝わる神々の物語やそれを大切にしてきた人々。
ぜひ、この地を訪れたら、そのことを思い出してほしい。
できれば、神々の足跡を辿ってほしい。
きっとこれまでとはひと味違う、
鹿児島の旅を味わえるはずだから。
取材・文・編集
吉国 明彦(よしくに あきひこ)
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