神々のおいしい故郷。Vol.5

〝神景〟に情熱を注ぐ人々。

故郷の宝を日本の遺産に


ニニギノミコト、

コノハナサクヤヒメ、

海幸彦、

山幸彦……

聞いたことはあるけれど、

そもそもどういう話? と

思われる向きもあるだろう。


それは古事記や日本書紀に伝えられる、

神話の世界に登場する神々。

「日本の始まり」の物語だ。


その物語を軸として、

今年度の「日本遺産100選」(文化庁)の登録に、

薩摩川内市と、鹿屋市、霧島市、南さつま市の4市が

連合でチャレンジしている。

題して「カゴシマ神景[KOUKEI]

〜神代三山陵と笠沙の宮から紡がれる風土[FOOD]の物語」。

鹿児島に残る「神々のゆかりの地」や

「田の神さぁ」など鹿児島独特の文化や景観、

食を、大きなストーリーにまとめ上げたプランだ。


なぜ、それほど神々の物語を愛してやまないのか。

日本遺産登録準備会の事務局長・竹内利彦さんは、

地元と神話の関係性を明快に説明してくれた。

「子供のころから年中行事や初詣などで、

ニニギノミコトを祀っている新田神社に親しんできました。

鹿児島には、この国を生んだ神々ゆかりの物語が各地に残っていて、

その神々が祀られる神社や陵墓(皇室のお墓)と伝わる場所があります。

ここは実はすごい土地なのかもしれない、

そう気づいて、誇りに思ったんです。

これからたくさんの外国の方も訪れるでしょうから、

私たちの地域や国の成り立ちを知って欲しい」。

竹内さんは少しだけ言葉に力を込めてこう語った。

「この活動を通して、4市の方々と知り合い、

繋がったことが一番の宝に思えます。

鹿児島には、人々を呼べるような宝がたくさんあります。

その宝を磨くのは、まだまだこれからです。」


「神代三山陵」

皇室の初代・神武天皇に連なる三代のお墓
「可愛山陵」「高屋山上陵」「吾平山上陵」が
鹿児島県にあり、宮内庁によって管理されている。
いずれも明治7年、明治政府に認定。
神代三山陵(じんだいさんさんりょう)と呼ばれている。


可愛山陵〝えのみささぎ〟(薩摩川内市)

ニニギノミコトの御陵(お墓)。
神亀山の山頂にある。



高屋山上陵〝たかやのやまのえのみささぎ〟(霧島市)

ニニギノミコトの子、
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)の御陵(お墓)。


吾平山上陵〝あひらのやまのえのみささぎ〟(鹿屋市)

山幸彦の子であり初代天皇・神武天皇の父、
ウガヤフキアエズノミコトのお墓。
その美しさから「小伊勢」と称される。


笠沙半島〝かささはんとう〟(南さつま市)

この地より上陸、ニニギノミコトが
「ここは朝日の直刺す国 夕日の日照る国 いとよきところ」と称賛し、
笠沙の宮(かささのみや)を築いたとされる。


日本遺産100選
国内外からの観光客を各地域に呼び込む施策として、
文化庁は平成27年より「日本遺産100選」を募集。
鹿児島県では令和元年に
「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」が認定された。
日本遺産登録準備委員会の会長・中俣知大さん(右)と、
事務局長・竹内利彦さん(真中)。
お二人とも薩摩川内市の出身。
新田神社の神職・砥綿茂全(とわたしげまさ)さん(左)




取材を終わって


懐かしい田んぼの風景と、

そこで出会った数々の田の神さぁ。

次に足を運ぶのは、

緑一面の田んぼの頃か、

黄金色の稲穂が実る頃か、

新米の時期がいいな、と思うのは、

やっぱり食いしん坊の性なのだろうか。


おいしいものがいっぱいの鹿児島は、

田の神さぁや、

様々な神々に見守られてきたのだということを、

改めて感じることができた。


鹿児島に伝わる神々の物語やそれを大切にしてきた人々。

ぜひ、この地を訪れたら、そのことを思い出してほしい。

できれば、神々の足跡を辿ってほしい。

きっとこれまでとはひと味違う、

鹿児島の旅を味わえるはずだから。


取材・文・編集
吉国 明彦(よしくに あきひこ)

ミナミノクニ/地元人が見つけた面白い鹿児島

鹿児島で発行されている観光情報誌の編集スタッフがお届けする鹿児島のウェブマガジン。

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