そこに、田の神さぁはいる。
その年の稲ワラで作った新しいしめ縄や花などが供えられ、
土地の人がよく世話をしていることがうかがわれる。
手には飯げ(しゃもじ)とスリコギを持ち、
頭には藁で編んだ大きな被り物をした姿が代表的。
いろいろな表情の田の神さぁがいる。
「田の神さぁ」の「さぁ」は
薩摩の方言で「さま」の意味。「神」も「かん」といい、
「たのかんさぁ」と呼ばれる。
「たのかんどん(殿)」と呼ぶ地域も。
お米は、心も育ててきた。
NPO法人霧島食育研究会を主宰する千葉しのぶさん。
霧島の畑や田んぼでの食農体験や、
郷土食の伝承などの活動をする。
「かるかん」郷土の代表的な蒸し菓子。
米粉と山芋で作る。
「昔は、家庭でもよく作られました」
もち米と灰汁(あくじる)で作る「あくまき」は、
独特の風味の郷土菓子。
「子供の成長を祈って端午の節句に作られてきました」。
高菜の「おにぎり」は千葉さんの食育活動の原点。
「人の喜びを受けて、自分の喜びとすることも学びます」
しあわせな音
お米と神様との関係。
そのルーツを知りたくて、
NPO法人霧島食育研究会理事長・千葉しのぶさんを訪ねた。
活動の拠点は、美しい霧島連山の麓に広がる田んぼや畑。
ニニギノミコトが稲穂を手に舞い降りたという神話が残る、
高千穂峰が見晴らせるエリアだ。
そもそも、お米の歴史って?
そんな基本の「き」から千葉さんに教わった。
「お米は世界では八千年前、日本では三千年前から食べられているといわれています。狩猟で走り回る暮らしから、米づくりが始まり、同じ場所で家族が暮らせるようになりました。人がつながり、村ができ、人口も増えていったのです」。
今、自分たちがこうして暮らしているのも、
いわばお米のおかげ。
そして日本人のお米は、
神様とつながりが深いのだという。
「田植え初めに山から下りてくる山の神を迎える行事を『さおり』、
山に登って帰る山の神を見送る行事を『さのぼり』と呼びます。
この『さ』はすなわち『神様』なのですね。
このことからも日本人は神様と一緒に
お米を作ってきたというのがわかります。
自然の営みですから、
いつでも豊作とは限りません。
お米ほど大事にされ、
また心配された食物はないように思います」。
「ある女の子が稲刈りのとき、ざくっ、ざくっという音を聞いて『ああ、幸せな音だなぁ』とつぶやきました。そんな感受性もお米は育ててくれます。これまで、一番おいしかったお料理は?と子供たちに聞くと『おにぎり!』と答えるんです。そんな想いは、一生心の中にあるでしょうね」、と千葉さん。
お米は、そんな力を秘めていたのかと驚いた。
古代から現代まで続いてきた日本人とお米との蜜月。
日本書紀などの神話に登場するニニギノミコトの名に由来する
「にぎにぎしい」とは、
すなわち稲がたわわに実る風景だという。
田の神さぁも、その歴史を紐解けば、
神話の世界までたどりつくのではないか。
はるか昔、ニニギノミコトが、
美しいお妃・コノハナサクヤヒメと暮らし、
亡くなった後、大切に埋葬された場所が薩摩川内市にあるという。
まるで、神様に導かれるように、その土地へ向かった。
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