おかえり南のウイスキー。Vol.4

「私の原風景が残るこの土地で、
技術陣がやりましょうよといってくれた。
うれしかったですね」。

「お酒は人類に欠かせないものなんです。

大昔から神様に捧げたりね。

酒は人の生活を豊かにするもの。

私はウイスキーに限らず、

ビール、ワイン、焼酎など何でも好きですよ。

TPOで使い分けてます。

酒好きなのは酒造会社を受け継ぐには、

よかったかもしれませんね。


鹿児島の津貫に蒸溜所をつくった理由は、

まず世界的なウイスキーブームで、

マルス信州蒸溜所だけでは原酒が足りなくなってきたんです。

ウイスキーといえば、

スコットランドや北海道など

寒いところの酒というイメージがあるでしょう。

しかし、最近は技術の発達で、

どこでもつくれるようになってきた。

暑い台湾でも、世界的に評価の高いウイスキーがつくられています。

わが社の創業の地でもある津貫でも、

ウイスキーがつくれるはずだと。


もちろん技術者たちと検討を重ねました。

温暖な鹿児島のなかでも津貫は盆地で、

冬はかなり寒くなる。

ダイナミックな気候変動があり、

山が豊かでいい水がある。

とても面白いものができるだろうという判断でした。

信州では「さわやかでクリア」、

津貫では「重厚な」ウイスキーを造っていこうと。


津貫で撮影された、2代目社長・本坊常吉家の写真。最前列、真ん中の男の子が本坊和人さん。

津貫は私の生家があり、

幼い頃はみかん山でかぶと虫をとって遊び回った土地。

自然がからだに染み込んでいる。風景が変わらないし、落ち着く。

私の原風景です。

そんな土地で技術陣がやりましょうよ、といってくれた。

うれしかったですね。


ウイスキー本来の魅力が浸透していくのはこれから。

たとえばワインのように、

その土地の味わいや造り手の想いを

大事にするような時代になってくる。

私たちも、そんな時代に向けた

ウイスキーで勝負したいですね。」





本坊酒造

代表取締役社長

本坊 和人さん

南さつま市・津貫に生まれる。
1977年に南九州コカ・コーラに入社、ブラジル勤務。
1980年に本坊酒造に入社し、同社での洋酒商品企画を担当。
1985年、マルス信州蒸溜所の新設・運営に携わる。
2013年、社長に就任。

2016年、本坊酒造発祥の地に「マルス津貫蒸溜所」を開設。

ミナミノクニ/地元人が見つけた面白い鹿児島

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